2017年5月27日土曜日

バンコクのあまり知られていないマニアックなスポットを回る(2017年5月23日)

バンコクでの1ヶ月の滞在中、タイ在住の旅仲間や昔からの友人と会いつつも町歩きを欠かさない。
これまで何度も滞在し、人生合計で9ヶ月過ごしているバンコクはいまだ旅の舞台でもある。


長らくお世話になったカオサン通りのATゲストハウスを離れ、
新たに居心地いい定宿を探すべく、スクンビット通りのアソークや日本人街プロンポン周辺のホステルに泊まってみる。
アソークのターミナル21まで徒歩5分の3Howw Hostel、
プロンポンの高級ショッピングモール、エムクオーティエ隣の路地にあるSleep Seek Hostel、
どれもオープンして間もないからか清潔で、典型的なドミトリーの二段ベッドでなく、
ベッドスペースをカーテンで仕切った半カプセル風のプライベートな空間で寛げる。
カオサンのATゲストハウスの200バーツに比べると400バーツで高めだが、
エアコン付き、ホットシャワー、外からの騒音なしで快適な夜を過ごせる。
特に良かったのが同じくプロンポン、スクンビット・ソイ33にある日本式カプセルホテル、まだ新しいサクラ・スカイ・レジデンス。
ある意味で日本のカプセルホテルよりモダンな空間に400バーツで宿泊できる。
エアコン調節、電灯調節が自由で、静かな快適なカプセルに泊まっているともうカオサン通りの暑すぎてうるさい宿に戻れなくなりそうだ。
何より立地がスクンビット通りなのであちこちアクセスするのに便利。


デザインもSFっぽく、それでいて共有空間は日本をイメージしており、
サクラ・スカイ・レジデンスのカプセル自体バンコクのマニアックなスポットと言えそうだ。



まずはセントラルワールド周辺から。
マハナコンが完成するまで長い間バンコク最高峰だったバイヨークタワー。
5月半ばに両親がバンコクに遊びに来た際にバイヨークスカイ・ホテルに滞在した。
回転しながらバンコク市街を360度見渡せる展望デッキは何度通ってもいい。



なお、バイヨーク・スカイ・ホテル周辺は問屋街となっており、
インド系の観光客でごった返したマーケットである。
高層ホテルの入り口ホテルから展望レストランに向かおうとする団体客で溢れており、
天と地のような違いがある。
エアポートリンクの駅は近いけれども、最寄りの BTSチッロム駅までの距離は長い。


セントラルワールドから新しくできたスカイウォークを歩いてチッロム駅に向かう際にゲイソーンという高級ショッピングモールがある。
昔からのショッピングモールだが内装の一部が改装され、
デザインが素晴らしい都会のオアシスのような、モダンな空間となっていた。


憩いのスペースはその辺のカフェやラウンジよりもいいだろう。



日本人に人気の夜の歓楽街ナナ周辺にもあまり知られていないかもしれないスポットがある。
ゴーゴーバーが集まるナナ・エンターテイメントプラザを出て北上し、
スクンビット通りを渡ったソイ3/1にある湾岸諸国からの観光客、商人が集うアラブ人街。
狭い通りにエジプト、イラン、イエメン料理店が並び、ケバブを焼く光景を見られる。
アラビア語の看板に埋め尽くされ、湾岸諸国独特のコロンの香りが漂うアラブ人街はバンコクにおいて異世界。


3年前まではシーシャを外で吸えるレストランやカフェが多く、
水タバコを吸いながら中東の空気を味わっていたが、
バンコクで水タバコ禁止になりアラブ人街の風物詩がなくなってしまった。


アラブ人街の一本隣、スクンビット・ソイ3にはエチオピア料理店が数軒集まる路地もある。
まだ入ったことはないがバンコクでエチオピア料理名物の不味いインジェラにリベンジするのも面白かもしれない。


アラブ人街からスクンビット通りを西に進んでいくと、
駅の建物のような空間があり、屋内屋台で賑わっている場所がある。


屋台の隣に踏切があり、高速道路に沿って線路が走っている。
すでに使われていないだろう線路上を歩いて進んでいくと、
両脇に粗末な家屋が並ぶようになり、ここがスラムであると分かる。


アラブ人街とナナに近いスクンビット通りから入れる。
大都会のど真ん中にあるスラムである。


線路をひたすら北上し、ペチャブリ通りに出るとため池に浮かぶような寺院を目の当たりにできた。


スクンビット通りの高層ビルと線路沿いのスラム、
蓮が浮く池に立つような寺院とバンコクならではの光景だった。


バンコクではマニアックなスポットがあちこちに点在している。

サトーンにあるゴーストタワー。
20年近く建設途中のまま放置され、廃墟と化している高層マンションである。
現在ホームレスの住居となっており、幽霊が出るとか。
現に不法住居者に金を払えば中に入れるようだが、何年か前に侵入した西欧人旅行者が死亡したそうだ。


バンコク在住の友人から教えてもらったルンピニ公園からスクンビット・ソイ10へのショートカットであり、都会のサイクリングコース。


途中からの出入りができず、歩行者をほぼ見かけなかったが、
サイクリングコースから普段見慣れているバンコクの住宅地を上から見るのは新鮮。


スピード違反を取り締まる警官がいたり、住宅地に紛れ込むモスクを発見できたりする。



スクンビット通りが近くなると運河沿いの家屋やマンションが見えてくるのも印象的である。
大都会バンコクから離れた町のようだ。


今回の世界周遊中、3年前、2年前も訪れたクロントイに足を伸ばしてみる。
バンコク最大の台所、クロントイ市場。
新鮮な魚や生きたままの鶏が売られている市場は昔ながらの東南アジアの原風景のようだ。



これまで3度訪れたバンコク最大のスラム、クロントイスラムにも2年ぶりに再訪。
運河沿いの住居群は濁流のように目まぐるしい都会の発展の流れからそれ、
行き場のない淀みにはまってしまったように見える。



高架下を走る線路の上を歩いて行くと、数年前から変わらない線路沿いに暮らす人々がいる。


一見バンコクの普通の商店街のようなクロントイのメイン通り。
周囲は線路、運河、港、高速通りで囲まれているのでアクセスが不便。


メインの通りを外れて細い路地が迷宮のように入り組んでいる界隈に入ってみる。
ドアが開け放たれた粗末な家屋で暮らす家族がさらし出され、細い路地で子供が戯れている。
犬の数が尋常でないので数ヶ月前に訪れたムンバイのスラムより注意が必要になる。
家族とじゃれあってフレンドリーそうな犬でも外部者の自分が近づくと吠えて威嚇してきた。



年々開発が進んでいるクロントイでも迷宮のような路地での公共衛生整備はまだ遠い。



小さな商店も点在する住宅地にムエタイを流すカフェであり、緊急消防署なのか消火器がバイクがようやく入れる狭い路地なので消防車は当然アクセスできない。
ムエタイを見ていたおじさんが陽気に話しかけてきた。
なぜか自分がすぐに日本人だとわかったらしく、
日本にも格闘家がいるだろう、とタイ語で言って微笑む。


エアコンなどあるわけがなく、炎天下で暑いクロントイスラムを2時間歩き回り、
車があふれ返るバンコクに戻った。


まだまだマニアックなスポットがあるバンコクは毎日歩いていて飽きない。











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2017年5月20日土曜日

バックパッカーの聖地カオサンの終わり(2017年5月8日)

かつて世界一の安宿街、バックパッカーの聖地と呼ばれていたバンコクのカオサン通り。
ネットで予約できるLCCの発達により安い航空券を販売する旅行会社は消え、
安宿の値段の上昇で長期滞在旅行者が減ってしまい、
2014年に訪れた時にはすでにバックパッカーの聖地としての役目を終え、
レジェンドを背負ったテーマパークと化していたが、
それでも深夜まで鳴り響くEDMと世界中からの旅行者が集まる独特な雰囲気に魅せられて30代後半の自分もカオサンに滞在し続けていた。
しかし、規制により露店が少なくなり、明らかにバックパッカーよりも観光客だらけのカオサンは名前は変わらなくてもすでに終焉に近づいていると言って過言でないだろう。



そもそも、カオサンの発祥自体はそれほど古くない。
アジアを旅する日本人バックパッカーが最もカオサンで多くなったのは1990年代後半。
バラエティ番組で猿岩石がユーラシア大陸を横断したのが引き金になったそうだ。
猿岩石や番組のオリジナルというべき沢木耕太郎の『深夜特急』に影響されてちょうど20年前のカオサンに滞在していた日本人バックパッカーはすでに40代、50代。
今回の世界周遊中に中央アジアで出会った旅仲間の中にまさに猿岩石世代の方がいて話を聞いてみると、当時はクラブや洒落たレスオランはおろか、露店も少なく、
小汚い安宿や旅行会社が集まるだけの界隈がカオサンだったという。

自分が初めてバンコクのカオサンを訪れたのが2002年。
高校時代に猿岩石のヒッチハイク番組を見たことがなければ、
『深夜特急』も読んだことがないオーストラリアのワーホリ生活を終えたばかりで東南アジアを放浪し始めた自分がカオサンに向かった理由は世界一と呼ばれるほど宿代が安かったことであり、世界一航空券を安く購入できると手元のガイドブックに書いていたからだった。
実際、下水の臭いが漂い、小汚いカオサン通り沿いに100バーツ(300円)以下のゲストハウスが多く、
初めてのカオサンで無難に選んだCH1ゲストハウスという安宿の窓なし独房シングルルームの値段は150バーツ(450円)。
後にカオサンを少し離れた路地で80バーツ(240円)のゲストハウスを見つけると150バーツすら高く感じられてしまった。
安宿ほど数が多い旅行会社も同様で、インド行きや香港行きの安い航空券を無数に取り扱っていた。
2002年以来、2003年、2004年、2005年、2007年と海外旅行に出るたびにあえて日本でバンコク行きの航空券のみ購入し、
カオサンに2〜3週間滞在しつつニューヨークやマニラ、ロンドン、上海、イスタンブール行きの格安航空券を旅行会社から買っていた。
旅行会社の前に張り出された世界中の街の名前と片道、往復航空券の値段を眺めているだけでまだ見ぬ国への旅への思いを馳せたものだ。


また、カオサンはタイだけでなく東南アジアのハブでもあり、
ラオスやベトナム、カンボジアを一周してバンコクに戻ってくると、
カオサン通りでばったり他の街で一緒だった旅行者と再会することが驚くほどあった。
カンボジアの思い出話を肴に安いビールをカオサン路地裏の怪しいレゲエバーなんかでのみ語るのが最高に面白かった。
2005年にロンドンからユーラシア大陸を横断してタイにたどり着いた時にもバンコクでイランやパキスタン、バングラデシュ、ミャンマーで出会った旅行者たちと偶然再会したり、
2009年に2年間の世界周遊後に再びバンコクに戻ってきた時も他の国、大陸で出会った旅行者と何の前触れもなくカオサン通りのバーや屋台、路地裏で再会した。
もちろん屋台で一人飯を食べている時に声をかけられて他国の旅行者と打ち解け飲むこともあった。
2002年〜2009年まで何度も長居し、旅の疲れを癒し、次の旅のための準備をしてきたカオサンはまさに世界一の安宿街であり、バックパッカーの聖地だったと思う。



世界のニーズにあわせて高速に移り変わっていくカオサン。
1年離れれば以前のゲストハウスが消え、新しいバーやレストランができ、
馴染みの旅行会社が夜逃げし、インターネットカフェの数が増え、屋台が変わったりしていた。
同時に当たり前のように最新ハリウッド映画を海賊版VCDで流すカフェやレストランが減ってきたと思ったら壊滅し、
静かだったカオサン一本北のランブトリ通りやチャナソンクラーン寺院が賑やかになったりした。

バックパッカーの聖地と言われていたカオサンに変化が現れたのは2007年に訪れた時だろうか。
航空券は安い航空会社で買うのが当たり前だった東南アジアで、
ヨーロッパのLCCブームが押し寄せるようにエアアジアという看板を見かける。
どうやら航空券をウェブサイトで購入できるらしい。
ヨーロッパ旅行中に利用したことがあるLCCをカオサン通りに溢れるインターネットカフェでも予約できるようになった。
バスに乗る感覚で安く飛行機に乗れるというLCCは間違いなく革命だけれども、
バックパッカーの聖地カオサンにも異変をもたらせた。
何度か利用して日本人御用たちの旅行会社も気がついたら夜逃げして潰れてしまったのもこの頃だった。

カオサンはさらに大きな転機を迎えていく。
2007〜2009年の世界周遊中に初めて目にしたiPhone。
日本で資金を貯め、4年ぶりに訪れた2014年のタイでは日本同様、
スマホを持っている人がほとんどだった。
スマホというものを目にするのが珍しかった時代からほんの数年でスマホを持って旅行するのが当たり前の時代に変わってしまう。
ノートパソコンもスマホも持っていなかった2009年の旅行で自分に無縁と思っていた「WiFi」という表記がとても重要なものになり、
片手にスマホ、あとWiFiさえあれば旅に必要な情報を集められ、
簡単にLCCの航空券を予約できるようになった。
特にLCCを含めて大手の航空会社の安いチケットも検索できるスカイスキャナーのおかげでいつでも好きな時に安い航空券を調べられ、行き先を自分自身で検討し、
値段や日程の相談相手は旅行会社のスタッフでなく、スマホの画面であり、旅行会社が無縁となる。
そして、これまでのカオサンになくてはならなかった安い航空券を扱う旅行会社が急激に減り、スマホの出現でインターネットカフェはほとんど見なくなった。
もはや旅の情報や安い航空券を購入するためにカオサンを訪れるメリットはなくなる。


2000年代半ばあたりからカオサンの知名度と並行して若いタイ人がカオサンに目をつけるようになってきた。
外国人バックパッカー向けの安いレストランやカフェを追いやるように洒落たバーやクラブが増え、週末になると外国人よりタイ人の方が多いのではと思うときもあった。
カオサンで営むタイ人にしても小汚くて金を落とさない節約型バックパッカーよりも金を持つタイ人向けのビジネスを展開するようになり、安宿街と呼べなくなるほどカオサンの物価は上がる。
レストランやバーはもちろん、屋台、露店、カオサンの象徴でもあった安宿の宿泊代も高くなってくる。
2007年に長期滞在していた頃、メインの通りでは120バーツのシングルルームを探すのも一苦労だったし、
10年経った今、水シャワー、ファンだけの昔ながらの木造ゲストハウスの最安値は200バーツ前後だろうか。
2014年、2015年、今回の2017年の定宿になっているカオサンのクラブ裏手のATゲストハウスはなんとか200バーツを保っている。


カオサンの物価、宿代の上昇は収まることを知らない。
若いタイ人が集まる洒落たバーやクラブが増えてくると、
おのずとカオサン通りに集まる西欧人も貧乏バックパッカーよりパーティー好きの西欧人が多くなる。
そもそもスマホで航空券が簡単に買える時代、貧乏バックパッカー自体死語かもしれない。
安宿は次々に消え、西欧人が好む高めのホテルが次々にオープンしていく。

さらに自分も今回の3年半の世界周遊中に何度も使っているbooking.comなどのホテル予約サイトが世界一の安宿街にとどめを刺したと思う。
ロンプラで紹介しているゲストハウスに西欧人旅行者が集まる時代が終わり、
誰でも、どんな国籍の人でも簡単にホテル予約サイトでカオサンにある宿を予約していく。
かつて西欧人ばかりのカオサンに数年前から急に中国人旅行者が増え、
バックパッカーからかけ離れた洒落た韓国人の若者や家族連れ、
LCCの恩恵を受けるようにマレーシアやインドネシアなどの東南アジア周辺国の観光客もバックパッカーの聖地と呼ばれていたカオサンを見ようと訪れる。
そして、すでに節約型バックパッカーが拡大していくカオサンの脇へ脇へと追いやられ、
メインのカオサン通りはかつて世界一の安宿街だったというブランドを味わうためだけにやってくる俗な観光客で埋め尽くされる。
子連れの東ヨーロッパ人が屋台風マッサージを家族皆で受けるのは当たり前。
中南米からの若者や中国人、韓国人がセルフィー棒で撮影して騒ぐ。
爆音のEDMが鳴り響く夜のカオサンを乳母車を押すインド人夫婦や湾岸諸国からのカップルがあっけにとられたように歩いている。
メインの通りがクラブと化すラッキーバーやカオサンセンター前では若い西欧人だけでなく、
インド人や中国人の観光客が踊る姿も見るようになった。
伝説のバックパッカーの聖地だったという思いに浸りながら騒ぐ人は皆無かもしれない。

安宿街としての役目を終えたカオサンにそれでも自分が居座り続けたのは
200バーツの定宿が存続していたこと以上に夜な夜な流れるEDMが好きだったことがある。
30代後半の旅行者は俗な観光地に成り代わってしまったカオサンで新たな出会いを求めることなく、
たまにタイの友人が遊びに来て一緒に飲む以外は好きなEDMが流れているカオサンセンターなんかで爆音に体を任せながらビールを飲む日々が続いている。
どんなに目を凝らしても日本人旅行者をほとんど見かけない深夜のカオサンで一人バーでビールを飲んでいる。
かつてのカオサンを思い出しつつも、最近ハマっているEDMを聞くのがカオサンの唯一の楽しみと言えるだろうか。

しかし、それさえも変わろうとしている。
タイの規制は年々厳しくなっており、昨年王がなくなったこともあり、
かつて夜明けまでクラブがオープンしていたようなカオサンでバーが閉まるのが午前2時になり、今はなんと午前1時。
時刻になるとパトカーがカオサン通りをゆっくり進みバーが閉店して客が外に出されていく。
2014年のクーデターの時も同じ光景はあった。
が、頭がいいというか、ずる賢いタイ人は24時頃にパトカーが来る時に一度店を閉め、
パトカーがいなくなったら再びオープンして午前2時まで爆音を流すことが多々あった。
それが2017年の現在、パトカーの後に装甲車も通るようになり、
クラブ、バーはもちろん、路上のビール売りもクローズを余儀されるようになる。
レジェンドとしてのカオサンにさえ浸ることができない健全すぎる今のカオサン。
15年以上付き合っていたカオサンをついに離れる時がやってきたと思う。
200バーツのシングルは他に見つからないが、ホテル予約サイトで検索すれば、
400バーツ前後で立地が良すぎるスクンビット通り沿いでエアコンが効いたカプセルホテルもここ1年くらいで急激に増えているようだ。



バックパッカーの聖地カオサン終わりに向かっている2017年。







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